こんにちは、ヒロです!
国民的歌手・橋幸夫さんが、令和7年9月4日、享年82歳で、お亡くなりになられました。謹んでお悔やみ申し上げます。昭和の歌謡界を代表する存在であり、特に1960年代、アイドル的な人気者として大活躍されました。

橋幸夫さんは、国民的スター『初代・御三家』として、俳優として、そして意外な一面をもつ多才なエンターテイナーとして、多くの人々の心に深く刻み込まれています。彼の残した歌と功績は、これからも色あせることはないでしょう。
心からの感謝と敬意を込めて、あらためて、橋幸夫さんの偉大な足跡をたどってみたいと思います。
国民的スター『初代・御三家』
演歌・歌謡界の第一線を走り続けた橋幸夫さん。舟木一夫さん、西郷輝彦さん(故人)ともに、1960年代のアイドル的な人気を集め、後に、初代・御三家と呼ばれるようになりました。
1960年(昭和35年)、橋幸夫さんのデビュー曲「潮来笠」が大ヒットを記録し、レコード大賞・新人賞を受賞。その後、1962年、吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」で、レコード大賞を獲得。さらに、1966年、「霧氷」では、2度目のレコード大賞に輝きました。
私は、リアルタイムで歌をお聴きしていないのですが、橋幸夫さんのモノマネで
♪いたこんのぉ~、い~~たろぉぉぉ~♪♪ムヒョぉ~~、ムヒョぉ~~♪と、志村けんさんが歌っているのを何回も見たり、聞いたりして、曲を覚えました。
私の母は、橋幸夫さんの大ファンで、若い頃は、橋幸夫さんの歌謡ショーによく出かけたそうです。そんな母も、今は、ほとんど、ベッドの上で過ごす日々。
「母ちゃんの好きやった橋幸夫さんが亡くなったんやて」
と母に伝える勇気がありません。今の状態の母に言っても、分からんかな・・・
子連れ狼
♪しとしとぴっちゃん しとぴっちゃん し〜とぉぴ〜いっちゃん♪
この曲も、橋幸夫さんが歌っていたんですよね~。「ちゃん!」「大五郎」
父を待つ幼き大五郎の姿に胸がキュッと締め付けられました・・・。橋幸夫さんと児童合唱団のコラボが良いですよね!

最期までステージに立ち続けた歌手魂
「俺、分かんなくなっちゃうんだ・・・」「みんなに迷惑かけているのかな・・・」
と周囲にもらす橋幸夫さん。異変に気づいたのは、2024年夏ごろだそうです。
橋幸夫さんの所属する「夢グループ」石田社長さんは、当初「高齢者なら誰でもあること」だと、あまり気にしていなかった。ただ、昨秋ごろから症状が顕著になり始めた。
アルツハイマー型認知症
脳の神経細胞が通常よりも早く減ってしまうことにより、認知機能が低下していく病気。認知症の中でもっとも多いタイプで、高齢化にともない今後ますます増えていくことが予想されている。病状の進行に伴い、徐々に物忘れをしたり、時間や場所がわからなくなり、暴言や暴行、不安、気分が落ち込むなのどの行動心理症状などもみられるようになる。
橋幸夫さんは、ことし5月にアルツハイマー型認知症と診断されたことを公表しています。一度は引退も考えたとのことですが、ステージに立つことを決意され、今春までステージで歌い続けられました。最期まで歌い続けたその姿は、病に苦しむ多くの方々に勇気と希望を与え、私たちにプロフェッショナルとしての生き様を示してくれました。
著書「お母さんは宇宙人」
橋幸夫さんは、若い頃、プロボクサーになりたかったそうです。実母・サクさんは、それをやめさせようと、愛する息子を歌謡界の大作曲家・吉田正氏へ弟子入りさせ、橋幸夫さんは見事に歌謡界のスター階段を登って行かれました。
そんな母も、晩年は物忘れや幻覚に悩まされ、徘徊するように。橋幸夫さんは、ご夫婦で力を合わせて実母の介護に奮闘されたそうです。1980年代は、まだ「認知症」という言葉が、世間的にも知られていない中、橋幸夫さんも大変戸惑ったとのことです。
「母の様子が段々とおかしくなり、僕たち夫婦と同居してもらうことにしたんですが、最初は妄想、次に幻覚、そして徘徊を繰り返すようになりました。僕が不倫しているという妄想を近所に吹聴したり、・・・そのうち、勝手に外に出て帰って来なくなったりした。警察に保護され、署まで迎えにいったこともありました」
(引用:読売新聞オンライン)
近年は、超高齢社会となり、介護にまつわる痛ましい事件も報道されたりして、大きな社会問題となっていますが、橋幸夫さんも、そのような事件は、決して「他人事」ではなかったそうです。かく言う私も、母を介護して早15年。「お母さんは宇宙人」という表現が、まさに、実感として感じられる今日この頃です。橋幸夫さんも、今は、天国で、お母さまとの再会を楽しんでおられるのかもしれませんね!
まとめ 歌声は永遠に
橋幸夫さんは、私たちにたくさんの感動を勇気をくれました。彼の歌声は、いつの時代も私たちの心を震わせ、青春の光をともし続けてくれます。
「永遠の青春スター」として、そして一人の多才なエンターテイナーとして、私たちにたくさんの愛と夢を届けてくださった橋幸夫さんに、心からの感謝を。彼の残した歌は、これからも私たちの心の中で永遠に生き続けることでしょう!

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